2017年3月11日土曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第15回】



今日はこれから我らがRK大将の講演会&懇親会に参加すべく、また大阪まで行ってきます。先月の京都での講演会には参加できなかったのでこれが今年初のRK大将の講演会参加ということになります。


で、今回の記事なのですが、今から書く文章のベースは5年前の神戸新聞社の一次試験で書いたものなんですね。3.11の際には色々な美談もありましたが、その中でも南三陸町の防災対策庁舎での話は有名なのではないでしょうか?命懸けで最後まで避難を呼びかけた勇気ある職員さんたち。その「声」に助けられた人も少なくはなかったでしょう。しかし僕はこの出来事に対して思うところがあるのです。
------------------------
・美談を語りたがる人々
未曾有の大災害となった東日本大震災から今日で6年になる。濁流に飲まれる街の映像に大きな衝撃を受けたのを今でも鮮明に思い出す。政権や行政の不手際が騒がれていた一方、現場では多くの美談が残された。

一入思い出すのは南三陸町の防災対策庁舎での出来事だろうか。自らの命を顧みず、最後まで職務を全うした女性職員らの姿に心を打たれた人も少なくはなかっただろう。しかし僕はこのニュースを聞いたとき、1つ思ったことがあった。音声を自動的に流す機材の1つでもあればその職員さんは死なずに済んだのではないかと。無論ネット界隈ではそういう話をする人もいたが、ニュースや報道ではそういうコメントをする人を少なくとも僕は見ていない。

・防災庁舎 遠藤未希さんの悲劇◆宮城・南三陸
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya_miki.html

別段これはマスコミが悪いとかそういうことではないのだろう。そもそも「美談」というものは時折そのものの本質を見失わせがちなのだ。「いい話があった、よかったね」とか「こんな素敵な人がいたのか...」とかその次元で終わってしまうことが多いのである。しかし肝心なのはそこではない。たとえばこの南三陸の防災対策庁舎の話であれば機材の導入やガイドラインの制定が肝心なところであるはずだ。遺された我々にできるのはそこから先のことだろう。
--------------------------------------


なんかこういう話をすると「不謹慎だ」とか的外れなことを指摘する人や「ハイハイ意識高いですねw」みたいな冷笑に持って行きたがる人がこの国にはなんだかんだ言って多い気がするのですが僕に言わせればそういう人たちこそダサくてキショいバカなのであり、正直相手にする気もないのですよw 


まぁそういう意識の総決算が今のでんでん宰相やバカウヨ学園なのではないかと言われればそれまでなのですが、何とか変えていきたいものですね。ここで生まれ育ってよかった、そう心から言える日のためにも僕はこれからも獅子奮迅していく構えです。ま、とりあえず今日は大将とその仲間たちと語らってきますよ。そしてそのこともまた記事として発信していきたいと思ってますので乞うご期待。それでは僕はそろそろ家を出ますね。皆さんもよい週末を、ジベリ!

0 件のコメント: