2017年7月19日水曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第35回】

・鉾建てが進む鉾町(これは大船鉾)

今日は仕事でまた烏丸の方に出掛けていました。僕は今事実上の十数連勤なのですが、それも明日で終わり。それが終わると久々のビートモーターズのライブが待っています。で、その後は伏見稲荷大社の宵宮祭&祇園祭の後祭。祭りがどんどん続くのであります。

・今日も気張ってきました

そーんな今日なのでありますが、ちょっとその帰り道にとある事件(?)があって、それで思う所があってこれを書いている次第です。まぁ難しい話はないので気軽に読んで貰えると嬉しいです。
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人の夢を嗤うバカ
ストリート系ジャーナリストと名乗り始めたのは丁度去年の今頃だったか。未だ大した成果はなく副業で何とか生計を立てている自分ではあるが、果たして僕に明日はあるのだろうか。




河原町ではストリートミュージシャンや大道芸人などが毎日ひしめき合っている。自分の境遇もあってか、僕はそういう人たちを他人と思えないようなところがある。最近よく目にするのは、さながら銅像のように微動だにせず、そうかと思えばカメラを向けるとポーズを取ったりと、その様は実に見事である。街行く人が彼に注目するのも無理はないだろう。

・名も知らぬストリートミュージシャン(これは先週の大阪にて)

しかしながら世の中にはバカがいる。今日の帰りしなのことである。いつものように京都マルイの前で彼はパフォーマンスをしていた。若い女性がカメラを向けて感嘆の声を上げていた。ここまではいつもの光景だ。そんなとき、若い男性4人を乗せた小さな車が対向車線に見えた。で、次の瞬間である。彼らは「お前、何のためにそんなんやってるん?」と嘲笑い、更に「こっち向けや!」と罵声を飛ばしたのである。僕をはじめとする多くの人がゴミを見るような目でその車を見つめていた。その視線に耐えられなかったのかは分からないが、車はその後そそくさと走り去っていった。



そんな中でも彼はパフォーマンスを続けていた。微動だにせず、「銅像」を演じていた。カッコいいと思った。気付くと僕はポッケに残っていた小銭を箱の中にそれを放り込んでいた。きっと大方あの4人はあのパフォーマーが羨ましかったに違いない。彼らは女性にチヤホヤされることなんて一生ないだろうし、それどころか人に認められることすらないだろう。人の夢を嗤うのは自分に夢がないからだろうか。たしかにパフォーマーよりも稼げる仕事はごまんとあるだろう。しかし、稼げればそれでいいのだろうか?自分が「これ」と信じた道を捨ててまでそうすることに幾ばくの価値があるのだろう。




ふと我が身を振り返る。「正論」を吐けば気違いと笑われ、具体案を論じても聞く耳すら傾けて貰えない。ではそんなことはやめてしまってグーミンにでも成り下がったほうが幸せなのだろうか。僕はどうもそうは思えない。でなければとっくにこんな生き方止めてる。だから見苦しくても抗い続けているのだろう。



最近何かで読んだのだが、ショーペンハウアーという哲学者がこんな言葉を残しているそうだ。曰く成功には3つの段階があるのだそうだ。1つ目は笑われるところ。「そんなバカなことを」と嘲笑される。しかしそれで諦めなければ次の段階が待っている。それは激しい抵抗と反対だ。状況は未だ良くはないが、それでもこれは大きなステップには違いない。なぜなら抵抗や反対というのは、それが実現可能性を帯びているからこそ生じるものだからだ。これを耐えれば次の段階が待っている。それは「同調」だ。それまで笑いものにしていた人たちが手のひらを返したかのように応援し始めるのだ。バンプの名曲になぞらえるとすれば「誰もがその手を 気付けば振っていた」といったところだろうか。もしかするとあの4人もいつしか彼のファンになっているやもしれない。得てしてそういうものなのだ。



翻って自分のことを考えてみる。僕は今どの段階だろうか。笑う人もあれば、激しい妨害を続ける人もある。トータルで見れば1か2か...。しかし少しずつだが「同調」も増えているようには思う。まぁどうでもいい。僕は僕の理想の実現のために努力し続けるだけだ。人がどう思うかなんて想像するのもバカバカしいではないか。
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・本日の呑みはこんな感じで・・・

あ、ちなみに今日はまた仕事終わりに銭湯&松川酒店に行ってました。長かった連勤生活がひとまず明日で終わり。ま、どうせ残業の残業みたいなコースなのは目に見えているのですが、久々の休みに向けてほどほどに頑張ってきたいと思います。それでは皆さんまた明日。ジベリ!

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