2018年1月20日土曜日

街歩きイベント

・月の桂で有名な増田徳兵衛商店

・京セラビルにも特別に入れたり...(これは城南宮方面)

今日は朝から伏見城研究会&歴史DO共催の街歩きイベントに行ってきました。街歩き自体はおそらく結構やってる人間だと思うのですが、この手のイベントに行くのはこれが初めてのコト。来月に迫ったプレゼンのためのフィールドワークも兼ねて参加したのですが、結果だけ言うとホントに有意義で且つ楽しいイベントでした^^

・イベント概要(FBより)

このイベントは鳥羽伏見の戦いにおける鳥羽の合戦場の周辺を歩きながら、要所要所で若林さんの解説が聞ける...というもの。加えて城南宮では宮司さんのお話を聞けたほか、関係者の中に京セラとコネクションのある人がいたようで、普段は入れない京セラビルの上層階にも案内して貰えました^^

・今からおよそ150年前のコト...

集合場所は城南宮。鳥羽伏見の戦い発生時に薩摩が本陣を構えたのがこの場所でした。宮司さん曰く、薩摩の軍人さんたちがやってきて「ここを使わせて貰う」と上がり込んだのが写真の貴賓館だったのだそうな。

まぁ昔ブラタモリでも言ってたことなんですけど、京都の人にとって明治維新って迷惑な話だったんですよね。だいたい禁門の変に起因しては洛中は「どんどん焼け」とも呼ばれる大火事に見舞われましたし、我が伏見の一角は鳥羽伏見の戦いで焼け野原になってしまいましたからね...

・一時は真幡寸(まはたぎ)神社と呼ばれていたことも...

城南宮では宮司さんの解説が聞けました。先の大戦(※鳥羽伏見の戦いのこと)のときにどこに薩摩が布陣していたか、だとか明治政府による国家神道への改変のなかで神社の名前が変わったことなんかもここで知ることができました。




今や国家神道は間違いだったというのが一般的な理解だとは思うのですが、神社本庁の思想の源流は間違いなく国家神道ですし、未だにそれは完全に消滅したとは言えないところがあるのも事実。靖国神社や全国の護国神社のみならず、実は全国の数多の神社に潜在的に国家神道の流れが残っているのです。(境内に自民党の議員のポスターがあったりするところが珍しくないのもそういうワケなのです。)



では城南宮はどうなのかというと、別段大したかかわりはありません。ただ国家神道を全否定はできないようで、やや奥歯に物が挟まったような口ぶりになっていたのが印象的でした。

・激戦地の小枝橋~赤池間を行く

ともあれウォーキングは続きます。アームストロング砲が火を吹いた小枝橋付近から激戦地である赤池周辺まで河川敷を歩くのです。ちなみに今回のイベントの参加者はおよそ20名程。歩くとなるとなかなかの大所帯ですね。(ちょっと遠足みたいで楽しかったですよ^^)

・若林さんの解説コーナー

河川敷を歩いていくと月の桂でお馴染みの増田徳兵衛酒造の近くへとたどり着きます。若林さんの話によると戦中は旧幕府軍が酒樽などを用いて塹壕のようなものを作っていたようです。それで2日目の戦闘では旧幕府軍が一旦は反転攻勢に出てるそうです。



まぁ結局は武器の性能の違いと錦の御旗ショックからその後再度新政府軍に押し返され、そしてそのまま淀まで退却することとなるのですが...。

・今は見る影もないが昔は風光明媚な場所だったそうな...

その後歩道橋を経て国一を渡り、今回の旅の最後の目的地である京セラビルの方まで向かうのです。戦争で焼けたことなどもあり、この周辺には古いものなんて何も残っていませんし、ついでに言うと自然も残っていないのですが、では平安時代のこの場所はどういうところだったのかというと、貴族たちが鷹狩りなどに興じる今でいうリゾート地のような扱いだったんだとか。(そう言えば鳥羽離宮があったのがこの周辺でしたね...)

・京セラビル(社食階)から見た城南宮

最後は京セラビルから今日歩いた場所を見渡します。京都府内で3番目に高い建物が実はこの京セラビルなのですが、実は京セラの社長である稲盛さんって鹿児島の方なんですってね。いやはや場所に歴史あり、人に歴史あり。何か因縁を感じるのは僕だけでしょうか?
・そう、これな。

ちなみに言うと、1番高い建物が京都タワーなのは言うまでもないこととして、では2番目に高い建物は何なのかというと、向日市にある日本電産ビルなのです。(たしか社長さんが「京セラビルよりも高いのを」との思いから作ったなんて話も聞いたような気がしますw)ともあれツアーは無事終了。いよいよ来月に迫った歴史DOフェスですが、今回のイベントはその発表のためのいいエッセンスにもなりそうな気がします。ちなみに今日はこのあともう1つ寄り道をして帰っているのですが、それはまた次の記事でということにして、僕は少し休むこととします。それでは皆様また後ほど^^

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