2008年5月9日金曜日

第一章・「挫折年間」①・不信感の萌芽

 1988年4月26日。その日が僕の生まれた日であります。別段,その日に何があったというわけでもなく、本当に普通の日だったようです。僕が生まれた家というのも、別にそれほど裕福なわけでもなく、逆に貧困というわけでもなく、まさに中産階級といった感じだったのです。父方の親戚や母方の親戚では初めてか、それに近い子供だったらしくかなり盛り上がって、また僕の命名に当たっては若干,揉めたそうです。(僕としても、自分の名前は気に入ってませんが、オカンが付けようとしていた名前というのも、後で聞きましたが、まぁどっこいどっこいって感じでした。どちらにせよ、別段,おかしな名前ではないのですがねww)父方の祖父が、自営業をやってて、オトンはそこで働いてるわけですね。この頃は今に比べれば、格段に景気はよく、軒並みに繁盛していたようです。一方で、何かとこの時期から僕は父方の親戚から疎外されていたようです。そういえば、あまりいい思い出がありませんね。よく遊んでくれていたのは、何かと母方の親戚でした。母方の祖父母の家は、農家をやっていて、みかんの収穫や田植えなんかをたまに手伝いに行っては、従弟(従妹)や弟とワイワイと走り回ったり歌ったりと、殆ど手伝わず、遊びまくっていたのを懐かしく思い出します。今でも、母方の親戚とは交友が深いですね。父方の親戚とはオカンは特に不仲で、その様子は子供だった僕の目にも明らかなものでした。
 
 そんな中、ある日のこと、オカンがしきりに悪口を言っていた親戚の人物の一人が家を訪ねてきたのですね。僕は単純に「オカンが悪く言ってるような人だ。愛想よくすることも無いだろう。」とか思って、ホントにそっけ無い態度を取って見せた訳です。まあ案の定,僕は怒られたわけです。今考えれば、「建前と本音」みたいなやつだって分かるんですけど、若干,4~5歳の人物に理解できるわけもありません。しかも、「だって・・・」と訳を説明しようとすると、「口答えするな!」とドヤされるわ・・・。正味、今考えても「なんでやねん。」と思ってしまうわけですよ。
 
 まぁ、そうやって押さえ込まれ続けていたわけですから、何かと僕は引っ込み思案になってましたね。すでにこの時から、僕は社会の矛盾に気付かされ始めていたわけですよ。まぁ、今ほどアウトロー精神が拡大した背景にはもっといろんな出来事があるわけですが。
 
 とりあえず、保護者の皆さんに言いたいことは、子供の前では人の悪口は言わないように、と。そういうことは一人で海か山か学校の屋上に行って叫びまくるか、気の合う友達と喫茶店に行って話すとか、場所を選んでください。あと、子供の話にはなるべく耳を傾けてやって下さい。それから、政府与党の皆さんにも一言。政府と国民の関係もこれに似ています。国民の声を無視しないで下さい。皆の声を聞いてあげてください。ここで僕が言いたいのはそういうことです。
 
 では、次回も挫折年間の続きになります。次の回で、なぜこの時代を「挫折年間」と僕が呼ぶのかが分かるはずです。 ジベリ!

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