2008年5月26日月曜日

第4章・暗黒年間①・‘喪失’

えっと・・・。なんか間が開いちゃいましたが、今回から数回にわたって、「暗黒年間」(小6~高卒)を、お送りしたいと思います。ひたすら「暗い」です。ただ,こんなことを言うのも変かもしれませんが、この7年間が無ければ、今の僕は無いでしょう。多分,かなり違っていたと思います。「いつかはどんなに辛い日のことも、冗談のように笑い飛ばせる日が来る。」と、誰かが行ってましたが、果たして本当なのかもしれませんね・・・。

 小学校6年生,親友が去ってからはじめて迎えた新学期。クラス表にあるはずもないあいつの名前を探す自分がいた。僕は彼の「代わり」になる人間,いわば第二の’親友‘を探したのだった。誰かの代わりになる人間なんてどこにもいない。それに気付くのに大した時間はかからなかった気がします。更に言えば僕はその後,少なくとも大学に至るまで「親友」と呼べる相手には出会えなかったのでした。また好敵手と呼べる人間は、今でも彼一人ですね。(それとは別に、越えなければいけない存在の人物は、確実に一人は現れましたが。)はっきり言って、その後の7年間は退屈でした。周りの人間にも大して骨のある人間はいませんでしたし。(でも,うちの弟と従妹は、それなりに骨のある奴ですよww)成績とかで僕を凌ぐ人間なら何人も居たのですが、人間として魅力がある存在の人間は現れなかったのです。それ故,僕はそれまで以上に「自己」を意識するようになっていきます。人生とは己との普遍闘争である。」僕は今,そう考えています。

 しかしながら一般的な友達は、多くいましたね。一番,ボーダレスになっていた時期かもしれません。最も、僕は元より人に区切りを付けるのが好きじゃないので、ある意味,当然の成り行きかもしれませんが。ただ、「ずっと、こいつと一緒にやっていきたい。」と思える人がいなかったので、それ故に多くの人物と親交を深めることとなった・・・と、それだけのことです。良いような悪いような・・・ですねよね。この年の担任は碌な奴じゃおまへんでした。こいつと、これから登場する「友達」の一人が、僕のそれから先の航路に大きな嵐を生み出すことになるのでした。先程も言ったように、僕はこの時期,ありえないほど交友関係を広げていました。とはいえ、実質は5~6人くらいが中心となってましたけど。修学旅行のグループ班も、そのメンバーでしたし。その「一人」とは、この際に班長を務めた彼はクラスに1~2人くらい居るような、「スポーツ万能!(でも頭は・・・)」的なキャラで、あと,いわゆる「お調子者」的な気質も持っている人物でした。それ故か、一般的な人気はあったようです。(もう一つ付け加えるとしたら、その「担任」も、そんなキャラでした。学校の人気者の先生・・・みたいなところでした。)ある意味で、それぞれの「無いもの」を持っていた僕と彼は、次第に親密になっていました。(均衡の取れた「コンビ」だったとも言えましたね。) もし彼が、そのまま親友にでもなっていれば・・・と思うことは有りますね。しかし現実はそうは行きませんでした・・・。
と,いいところですがここで、今日はおしまいです。ここからはまた明日ってことで。ジベリ! 

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

おはようございます、Senichiさん。
人生とは己の普遍闘争なんて言葉を書けるなんて凄いですね。でも私もそう思います。

子供の頃は友達作りは簡単な様に思いました。でも大人になってからは好き嫌いがはっきりの性格なので、なかなか深く付き合えなくなっています。
友達は多いから良いとか少ないから悪いとかではないと思います。人脈はあった方が良いと思いますが、付き合う人の中身だと思います。たった一人の理解者でも良いし、深く付き合い何でも話せる人が少なくてもその人の価値が下がるわけではないと思います。

天王寺センイチ さんのコメント...

>しのちゃんさん

少し前にある人が「人生って何なんだろう?」っていきなり聞いてきて、暫く考えていたんですね。この連載を書くようになって、突発的にこの答えが出てきたんです。なので自分でも書き込みながら若干,「どや?」って感じになってましたね(笑)

「友達は‘数’じゃない。」というのは、僕も同感ですね。その一人一人と本当に理解し合えていればそれは良いですが、たくさん居るだけで、誰も信じておらず、誰からも信じてもらえてない・・・では悲しいだけですからね。