2012年9月25日火曜日

八百万の神が集まりて何かする

・出雲大社の鳥居前にて

バタバタしていて少し時間が空きましたが、今日は1週間前の出雲旅行について書きたいと思います。たった一日の日帰り旅行でしたが初の島根訪問、初の山陰地方、初の日本海...と色々と新鮮な経験の出来た旅となりました。例によって今回も写真満載でお送りします!

・日御碕神社は古代よりあるという隠れた名所

今回は久々のオトンの車での旅行だったのですが、松山を出たのは午前2時頃。そこから今治経由でしまなみ海道を経て尾道へと向かい、そこから島根まではというと高速道路が通っていないので下道をひたすら走ることになります。途中ドライブインで休憩したりしながら、出雲に到着したのは朝8時頃。最初の目的地は日御碕(ひのみさき)神社というところ。

・境内はこんな感じ

名前こそ聞きなれないところですが、実は由緒ある神社なんです。日御碕神社は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀った神の宮と天照大御神を祀った日沈みの宮という2つの本社からなる神社でその歴史は古く、特に日沈みの宮は元々欠史八代(2代目の綏靖天皇~第9代の開化天皇までの8人の天皇の総称ないしその時代の名称。古事記や日本書紀に名前はあるものの事績が記されていないことから予てより非実在説と実在説の論争が絶えない。)の一人である安寧天皇の時代に造られたとされています。つまり、紀元前の6世紀よりここにあったことになるのです。

・神の宮はちょっとした崖の上にある

まぁ尤も今あるものは江戸時代、徳川家光の下で再建されたもので、その建築様式は「権現造」と呼ばれるものとなっています。他の権現造の代表的な建築物としては久能山や日光の東照宮や京都の北野天満宮なんかが挙げられるワケですが、成程言われてみれば構造や色彩が似ているなといったところです。

・日御碕燈台は日本一の高さを誇る石造の灯台である

そして次の目的地は、先程の神社から車で7~8分走ったところにある日御碕燈台というところ。日本会を間近にした断崖沿いに佇んでいるこの灯台は1903年に造られたものであり、実に109年もの間、ここで明かりを灯しているのであります。建築当時より日本最大の灯台だったのですが1世紀以上が経過した今でもそれに変わりはありません。この白い巨塔はいつまでも荒ぶる日本海を見守り続けているのでしょう...。

・灯台上部の展望台からの眺望

この灯台には入場料200円を払えば登ることができるようになっています。灯台の上部は展望台になっていて、そこからはこのような絶景を楽しむことができます。荒涼な日本海を見渡すにはここは絶好のスポットなのです。日本海=演歌みたいなイメージがあったりするんですけど成程ここでサザンやチューブは生まれないワケです。そりゃ演歌の1~2曲作りたくもなりますよ。(←それ褒めてんのかけなしてんのか分からんぞw)

・内部はこんな感じになってます。(※エレベーターなし)

灯台の中はご覧のような螺旋階段が延々と上まで続いているワケですが、驚くなかれここにはエレベーターというものがありません。ひたすらこの螺旋階段を上り下りしなくてはならないのです。(しかも土足厳禁なので、靴下で延々と階段を登ることになります。因みに階段は163段あるそうな...。)


・出雲大社境内には神話を見チーフにしたモニュメントが並ぶ

さて、いよいよこの旅最大の目的地である出雲大社の登場です。因みにこれはというと大国主命が大物主から和魂(にぎたま)である幸魂(さちみたま)と奇魂(くしみたま)を授かっているところなのだそうな...。大国主命はこれを授かって祀ることで国造りを成功させたと伝えられています。ではその祀った場所というのが出雲なのかというとそうではありません。その場所というのは奈の三輪山なのだそうです。

・こちらは因幡の白兎と大国主命のモニュメント

では出雲大社とは何なのかというと、その大国主命が天高原から国譲りを行う際にその代償として天津神(あまのつかみ)のために造営した宮殿だったのです。古代より杵築(きづき)大社と呼ばれていましたが、1871年に出雲大社と改称します。近代社格制度において唯一「大社」を名乗ることを許される神社となったのですが、それはここが日本神話において極めて重要視される場所だったことの所以と言えるでしょう。(因みに今では御祭神は大国主命とされています。)

・境内はこんな感じです(拝殿前)

出雲を実際に訪れてみると分かると思うのですが、なんか京都と同様に不思議な磁力を感じる場所なんです。田舎に帰った時とは別の次元の‘懐かしさ’を感じる場所なんです。恐らくこういう場所が京都と出雲以外にもう一つあるとしたらそれは伊勢でしょうか?とにかく歴史的な重みに加えてそういう空気を感じる場所なんです。

・国旗掲揚台(本来はここに巨大な日の丸が翻っている)

あと出雲大社を参拝するときに気を付けてもらいたいのは、通常の神社と拝礼の作法が少し異なるコト。普通は二拝二拍手一拝なのですが、ここは二拝四拍手一拝なのです。なぜそうなのかは諸説あるのですが、そもそも神社が二拍手に統一されたのは明治維新以降の話であり、それまでは比較的作法もバラバラだったそうです。余談ですが、四拍手の拝礼作法を取っている神社はここの他にも大分の宇佐八幡宮などが挙げられます。(細評はこちらを参照)

・神楽殿の注連縄(しめなわ)は5tもの重さがあるという

それから出雲大社といえばこの大注連縄ですが、ここに賽銭を投げて見事刺されば願いが叶う...という話しをたまに聞きます。しかしこれは全くの俗信であり、何か神話的な裏付けのあるものでは一切ないので間違ってもやらないようにお願いします。(そもそも迷惑極まりないですし、注連縄を損傷しかねない罰当たりな行為に他ならないのでw)

・本殿の東西にある十九社は神様の宿のようなもの(写真は西十九社)

今でこそ山陰とか出雲というと地理的に辺鄙な場所(実際に高速道路も途切れてるし...)というイメージが強いのですが、ここがこれだけ栄えたのは勿論この地がどこか神聖な場所だから...というだけの理由ではありません。前にも言ったようにここは中国や朝鮮との交易の要衝だったのです。ご存知の方も多いと思うのですが、島根県には神無月というものがありません。島根にとって10月は神在月なのです。「八百万の神」とも称される神々の皆さんはここ出雲大社に集まるのです。上の写真の神様の宿舎なる建物は境内の東西に一つずつあるのですが、出雲より西の神様は西側の宿舎に、出雲より東の神様は東側の宿舎にそれぞれ滞在するそうです。

・四の鳥居こと銅鳥居は萩の二代目藩主である毛利綱広に寄進された

しかし神々の皆さんは一体何のために集まるのでしょう?それを知らない人は結構たくさんいるんですが実は知ってしまうと何のことはないのです。はい、縁結びの相談をするのです。「他にやることはないのかw」と思う方も多いと思うのですが、そもそも一重に縁結びとは言ってもそれは何も男女のことだけではありません。広義に人との出会いすべてを‘縁’ということもできるワケで、それを相談しているとなると一層大切なことではないですか。

・稲佐の浜の目と鼻の先にある弁天島

かの「古事記」において出雲神話は全体の3分の1を占めているのですが、そのため出雲にはあちこちに神話の舞台になったところがあります。ここ稲佐の浜もそのひとつです。ここは先述したいわゆる「国譲り神話」の舞台であるとされており、この地で大国主命と武甕槌神(たけみかづちのかみ)が国譲りの交渉をしたと伝えられています。写真の弁天島は神仏習合の時代は弁財天を祀るところとされており、その名残から今でも地元民からこの島は「弁天さん」の名で親しまれているそうです。因みに今は神武天皇の祖母とされる豊玉姫を祀るところとされています。

・稲佐の浜をバックに久々の作者登場(ってメガネだけかーいw!)

まだ昼食の蕎麦屋にも入ってないのですが、ここまででかなりの分量になってしまったので、ひとまず今日はこの辺でお暇します。次回は先述の出雲そばから始まって夕食を食べた東広島のお好み焼き屋で終わり...ということになるものかと思われます。それでは本日はこの辺で失礼します,ジベリ!

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