2011年12月15日木曜日

「イデオロギー」をぶっ壊せ!

師走も中旬を迎え、世間は忘年会シーズン真っ只中なのですが、僕も今週の月曜は忘年会第一段を楽しんできました。そしてその翌日から昨日までの2日,僕は体調不良でダウンしていたのでありました。火曜は午前中の授業を休み、午後のバイトだけ行ってきたのですが、そこで力尽き、その翌日は一日中寝て過ごしたのでありました。その甲斐あってか今日は復帰しました。(でもお授業は休講になったらしく、えらい肩透かしを食らったのでありますが....。)まぁ今日は僕の話は一旦置いといて、ちょっと先日の忘年会の席でも軽い議論の的になっていた「イデオロギー」というものについてお話したいと思います。一重にイデオロギーと言ってもその定義は様々ですが、今日のところはとりあえず広範に「右翼・左翼的な概念」として捉えといて下さい。

今日僕が言いたいのは戦後,日本の政治が内包してきた、定義の曖昧な保守革新ないし右翼左翼の対立が、多くの場合,問題解決の妨げになってきたということなのです。それはどういうことか?まずそれを原発を例にして説明しましょう。右寄りの人たちがなぜ原発を推進していたのか?それを考えたとき、それ相応の理由は見当たらないんです。核兵器保有のためなんて言う人もいますが、多分そういう人たちは原子力に関する知識がゼロに等しいんだと思います。それに仮にそうだとしても、54基も原子炉を作る意味は全くないんです。じゃあ実際のところはどうなんだっていうと、結局のところあの人たちは左翼に同調するのが許せなかったというだけなんですよ。でも、エネルギー問題はイデオロギーで考えていいものじゃない合理的かつ論理的に考えなくてはいけない問題なんです。そしてその下らない意地のために結果的に慈しむべき国土を汚してしまったのですから、これは猛省せざるを得ないところでしょう。

でも左翼の方にも反省すべき点はあります。主張をパッケージ化しがちなのは寧ろ革新系の団体によく見られる傾向だったりしますから...。これは社会党系のところに顕著ですが、共産党系にも少なからず見られる問題です。たとえば先述した原発にしても或いは労働問題にしても、いつも「護憲」をセットにしてしまう。場合によっては自衛隊廃止と日の丸・君が代反対まで含めた一大バリューセットにしてしまう...。これでは意志の分断がされかねないし、労働組合が押し付けがましい思想宣伝に走ってしまうきっかけにもなり得る。じゃあ僕みたいに労働問題には積極に取り組みたいし、原発には反対だけど日の丸も君が代も大好きで、しかも自主防衛推進派っていうような人の居場所がなくなってしまう...。

だからこそ僕は言いたいんです。そんな下らないイデオロギーなんてぶっ壊せ!と。あってもいいけどあくまで大切なのは課題を解決すること。そのためなら別に、日本を良くするためなら右も左も関係ないじゃないか!!と。僕は憂国志士会っていう団体を右翼と左翼の融合への期待を込めて作ったワケですが、究極目標としてはまさにそれなんです。共闘できる右派・左派を作ってそれを一大勢力にすればきっとこの国はよくなる。そんなことを思っている今日この頃です。そんなところですが、本日はこれにて失礼します。年の瀬の忙しい時期ですが、皆さんくれぐれも体調にはお気をつけて,ジベリ!

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