2014年9月18日木曜日

沖縄論③:鳩山政権が沖縄に与えたもの



1、今回の概要
ということで、今回で3回目となる「沖縄論」ですが、今日の主題はズボリ鳩山政権の功罪なのであります。最終的にはテンヤワンヤで終わってしまった鳩山政権でしたが、実際ここがもたらしたものって結構多いんですよね。以下はTwitter上でアベノリスクさんという方がまとめてくれたものなんですが、まぁちょっと見てみて下さいよ。(ちなみに僕は8月15日にRTしてます。)



だからこそ支配勢力(マスコミ、官僚)の総攻撃を受けたのではありますが、ともあれ今日は鳩山政権が沖縄に与えたインパクトと、件の辺野古移設計画の歴史に主題に話を進めたいと思います。鳩山首相(当時)は、普天間基地の移設先について「最低でも県外」の方針を打ち出し、住民からの根強い反対の声を他所にして既に日米両政府の間で固定化されつつあった普天間基地の辺野古への移設計画を根本から覆そうとします。それにしても辺野古移設案というのは、いかにして出てきたものなのでしょうか?今日はそこからお話ししたいと思います。


2、辺野古の基地計画
辺野古の基地計画というものがいつ頃からあったのかというと、実は1960年代、つまり沖縄が本土に復帰する前の段階からあったんです。(1966年)ではなぜこれが実施に移されなかったのかというと、当時アメリカはベトナム戦争での出費とドル安で財政難だったからなのですね。その後1972年には沖縄が本土に復帰するところとなるのですが、それから四半世紀後の1997年に辺野古は普天間基地の移設先として浮上することとなりました。当時、県知事だった大田昌秀はこの計画に反対していたものの98年の知事選で自民党の推薦を受けた沖縄財界の要人でもある稲嶺恵一に敗れたことからこの方針が固められていくこととなりました。(ちなみにこのときの選挙では稲嶺陣営に3億円の官房機密費が流されたと言われています。当の稲嶺さんらは否定していると言いますが、これは日本政府の常とう手段であり、1968年に実施された初の琉球政府主席公選時にも使われています。先日行われた名護市長選や石垣市長選でも似たようなことがあったかもしれませんし、今年12月の知事選でも仲井間さんのところにお金が流れるかもしれません...。)

とはいえ、実はこのときアメリカは普天間の移設先を必ずしも沖縄に限ってはおらず、本土への移設計画も打診していたようですが、拒否ったのはどうやら日本政府のようです。ともあれ稲嶺知事は1つの条件を付けていました。それは「使用期限を15年とする」というものです。そしてこれを最大限の「沖縄県民が許容できる限界」としていたのです。(ガバン・マコ―マック、乗松聡子、著「沖縄の<怒>」105項より)ちなみに辺野古基地の建設に携わる予定の会社というのがどこかというとあの悪名高いベクテルなんですね。また辺野古に関しては、いわゆる辺野古土地転がし~ずの存在も忘れてはいけません。(それにしてもここに上がってる9人が、まぁ全員が全員ユダ金の手先みたいなのばっかりなこと...。)その後、辺野古移設計画は沖縄の頭上で日米が勝手に話し合うという形で継続。そんな中で沖縄は2009年の夏を迎えます。結果は民主党の圧勝。沖縄でも辺野古移設容認派の候補は全て落選するという結果になりました。


3、鳩山首相の失敗
就任後、党内工作員(前原、岡田など)の反発や、マイケル・グリーンをはじめとするジャパン・ハンドラーズの恫喝を受けながらも普天間問題に明け暮れた鳩山首相ですが、それから1年も経たないうちにアメリカに屈する形となり、鳩山さんは首相の座を退くこととなりました。ありていなことを言えば、結局鳩山さんが失敗した原因は移設先を探したことなんですよね。だってそもそも喜んでアメリカの基地を受け入れますよなんて場所はありませんし、国家の主権として「基地はいらない」ということを示すだけでよかったんです。「じゃあ僕たちはどうすればいいんだ?」とアメリカが聞いてきたら、「自分たちで受け入れ先を探しなさい」と言えばそれで済んだ話なのです。なぜ鳩山さんはそれをしなかったのか。人がよすぎたのか、或いはあの人もまた対米従属という関係を1日でも長く続けたいと願う政治家の一人だったのか、真相の程は定かではありませんけどね。ともあれ鳩山政権が生み出した‘余白という名の希望’の上に今の沖縄の抵抗があるのは言うまでもありませんし、その意味で一定の評価はしてもいいんじゃないかというのが僕の所感です。


~おまけ:沖縄セールス~


本日紹介するのは、沖縄では定番の炭酸飲料、ルートビア。スヌーピーでお馴染の漫画「ピーナッツ」にも度々登場するアレですね。ちなみにA&Wは直営のレストランをやっているのですが、日本国内だと沖縄にしか店舗はありません。那覇の国際通りを歩いたときに特に思ったことでもあるんですけど、アメリカ文化と沖縄の風土が折り重なったあの独特の空気ってやっぱり他に類を見ないものなんですよね。沖縄から基地が消えてもきっとこの文化はこれからも独特の進化を遂げていくんだろうなと思います。沖縄はもともとポテンシャルのある地域ですからね。基地とか大規模なリゾートとな無くっても、いや多分無い方がより一層の発展が望める筈なんですよ。次回でこの連載も4回目を迎えるのですが、ボチボチ佳境に入るものと思われます。文字ばかりのあまり楽しくない記事かもしれませんが、最後までまたお付き合いください。それでは今日はこれにて失礼します,ジベリ!

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