2015年8月6日木曜日

私の可能性(京都新聞2015年採用試験課題)

本日8月6日は本来であれば京都新聞社の筆記試験がある日だったのですが、なんと今年は書類で落とされてしまったため、仕方がなく仕事に行くことにしたのです。ともあれ何とも不服です。せめてもの反抗として、その書類応募のときに書いた作文をここに転記したいと思います。これだけのことが書ける人を京都新聞は落としたのだということが伝わればいいなと思う次第です。(下線部以下、ほぼ原文)

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「私の可能性」

 可能性という言葉は何とも言い難いポジティブな響きを持つものである。しかし、ある人物はこう言う。「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない」と。この言葉の主は森見登美彦さんの小説、「四畳半神話大系」に登場する樋口清太郎その人だ。なんともシビアな一言だが、成程これは真理なのだろう。よく人は「可能性は何だってある」なんて言うが、では私は今からプロ野球選手になれるのか、あるいは天才数学博士になれるのだろうか?おそらくなれないだろう。だから、「やればできる」というのもまた、ある意味では大いなる幻想に過ぎないのだ。
 しかしながら、では一体我々の可能性というものは何によって担保されているのだろうか。私はそれは当人の意思であると考える。勿論能力もあるだろうが、そもそも意志がなければ能力など意味を成さない。自分は一体何がしたくて、そのためにどこまでやる気概があるのか。それが一番重要なのではないだろうか。

 私には夢がある。それは新聞記者になることだ。向いている側面もあるし、おそらく向いてない側面もある。しかし、それでも私は記者を目指す。記者になりたい、記者になって理想とするジャーナリズムを追究したい,という意思があるからだ。そしてそのためなら誰よりも努力できる自信がある。きっと可能性というものは宝石の原石のようなものなのだろう。それを宝石と信じて磨き続けることの出来た人にのみその輝きを見せてくれるいささか気まぐれで意地の悪いダイヤモンドなのだ。私はこの原石を信じて磨き続けてみようと思う。
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この記事をもう少し早く公開してもよかったのですが、まぁ別にこれを発表することで採用担当に「やっぱり筆記試験に来てくれ」とか思わせるためにやってることじゃないので、敢えて筆記試験の行われる日に発表する形にしてみました。あ、でも僕を直ちに採用してデスク並みの権限を与えてくれるって言うんだったら乗らなくもないですよ。(給与は標準でいいやw)昨年の神戸新聞の時にも言ったことなんですけど、力はあると自負してますんで。そんなところですが、今日は仕事に行かねばならないので、そろそろ失礼します。

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