・第1篇:水を差すということ
場を盛り上げるというのはある意味では誰にでもできることである。しかし例えば逆に熱くなりすぎた議論を冷ます役割であったり、皆が是か非かどちらかしか言わなくなったような環境でその逆を主張するのは難しいことだろう。そのときに必要なのが「嫌われる勇気」というやつなのだろうか?
少し前にお昼の番組でこんなことがあった。ポスト安倍として小泉進次郎を取り上げ、出演者たちは大いに盛り上がっていた。そんな中、「話が出来すぎている」と一石を投じたのが小藪千豊さんだった。
小藪さんは間違っていない。小池百合子ほど政治家にしてはいけないタイプの人間も珍しいのではないか。— Senichi@12.17音速ライン (@t_senichi) 2016年8月6日
https://t.co/jHc34VBcVb 小籔千豊は徹底した「小池嫌い」 「一番ディスらなあかん」に視聴者唖然(RKブログ) pic.twitter.com/lsRfSqgPRb
MCが「折角盛り上がったとこでCM行こうと思ってたのに」とボヤくと「そういう空気が一番危険ですよ」と重ねた。僕がそのとき心の中で拍手喝采したのは言うまでもない。
日本人はどうも空気に飲まれやすい。それを分かっているからテレビや新聞を使って世論を誘導する。そもそも関心がないから上辺だけの判断をしてしまう。この国の抱える多くの問題の元凶は概ねそこにあるのではないだろうか?と僕は思っている。
話題になってたから遅ればせながら観てきた。「本当に危機を感じるべきは国民の意識の低さ」、最後のこの一言に全てが集約されてるわ。漫才としても面白いし、これはもっと評価されるべき。 https://t.co/YAU1trQfnd ウーマンラッシュアワー12月17日THE MANZAI 2017 #消すと増える #例のアレ— Senichi@12.17音速ライン (@t_senichi) 2017年12月19日
ジャーナリストというのは本来、あまり好かれるような職業ではない。特に権力者からは嫌われる仕事だろう。「言われたくないこと」を究明するのが仕事なのだから当然である。村本さんは最後に「お前らのことや」と客を指差した。ふと新聞社の人と話したときのことを思い出す。僕は「野党がだらしないという批判はおかしい。それは国民の無関心、無気力の帰結ではないのか」と言った。権力者をディスるのも大切だが、時には読者をもディスるような、そんな‘勇気’がマスメディアには必要なのかもしれない。#ウーマン村本 さんがここまでやったのは「このままじゃいけない」との危機感と怒りがあったからでは。「沖縄に行き、基地で苦しむ人と話し、仮設住宅で苦しむ人と話し、その人達に漫才やったら涙流して笑ってくれた。全国放送でやるからねって約束してきた。約束守っただけ」https://t.co/H8umRFBYWE— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) 2017年12月18日
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政治的な発言や漫才をすると「芸人のくせに、どこ目指してんの?」と言われるが、おれの知ってたお笑いは海じゃなくて蛙達の住んでる井の中だと気付いたからおれは大海目指してんのさ— 村本大輔(ウーマンラッシュアワー) (@WRHMURAMOTO) 2017年12月18日
ジョージカーリンが呼んでいる pic.twitter.com/R3JipXok9G
ということで、こんな感じの記事があと2つ続きますw まぁ僕は元々が基本嫌われ者なのでこういう稼業が似合うのかもしれませんね。
アドバイス欄の 「頼りにされたい願望がある一方で、少し頼られすぎて重たくなると逃げ出したくなる」というのは何となく納得。というか基本嫌われ者だから好かれ慣れてなくて、いざ好意示されるととどうしていいか分からない時があるんだよねw— Senichi@12.17音速ライン (@t_senichi) 2014年5月29日
志士会とてそうやって世間から弾かれてきた人たちが集まってる場所みたいな雰囲気もありますしね。だけどそういう人たちって(僕も含めて)芯のある人たちでもあるんでね。分かる人には分かってもらえるんでしょうかね。なんか今日はデートって人多いみたいですよw 工作員なんてやってて何が楽しいのか分かりませんが「お前ももっと自分本位に生きてみな!」と言ってやりたいですね。引き続き「次」を書きますのでしばしの間ご歓談を^^
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