2017年12月24日日曜日

3つ目。

・崇仁地区の再開発に思う
先日仕事終わりに京都駅周辺をうろついていると、屋台村のようなものが出来ていた。丁度塩小路高倉の、かの2軒のラーメン屋の近くである。実際に写真を見て貰いたい。

・本格的なオープンは来年になる模様

嵐山の有名コロッケ店などの出店する飲食ブースや、右京区で採れた野菜などを販売する物販ブースにアートスペースなど狭い中にいくつもの要素が兼ね備えられている。

・やたらと革製品を取り扱う店が多いことがこの地域のバックボーンを物語る

この屋台村のようなもののある周辺のことを崇仁地区という。何の先入観もなしにそこを訪れた人ならおそらくこう思うだろう。「なんで大きな駅の近くなのにここら辺は再開発とかしないのかな?」と。それくらい崇仁地区というのはよく言えばどこかで時間が止まったような、悪く言えば時代から取り残されたような特異な空間なのである。


思えば部落問題は僕も直接的には扱ってこなかったが、別にこれといった理由はない。あるとすれば精々説明が難しいということくらいだろう。今回のコラムではとりあえず長い説明は割愛する。でも一言で言えばこの問題はユダヤと同じ構造になっているのである。言ってしまえば被差別の対象であると同時に極めて特異な利権集団でもあり一部は特権階級でもあるということだ。つまり核心部には権力と密接な特権階級があるのだけど、周りにある「被差別」という部分しか可視化はされていない。そして差別の由来やルーツは多くの人が詳しく知らない。


なぜそうなっているかというと知られたら困る部分があるからであり、それ以上でもそれ以下でもない。そもそも偏に部落といってもそのルーツは様々だ。先述の革製品だったり庭師だったりと特殊技術を必要とする集団もあれば、税の徴収を任されていた人達もいるし、宗教だって様々だ。だから浄土真宗=部落というのも嘘であるし、犯罪者の子孫が部落というのは悪質なデマである。



こんなことを書きながら少し調べると、こんな記事があった。上はその中からの抜粋である。その中で目を引いたのがこれだ。少なくとも僕の世代では部落にまつわる授業というのが少しだけあったがどうもいい思い出がないし、しかも嘘を教えていたこともあった。このスレの主ではないが、あんな授業ならしない方がいい。
崇仁地区には大学の移転話もあるらしい。あの屋台村もその前段階のような催しなのだろうか。双方にとって良い効果があればいいのだが、もう1つ別の視点としてこの町の歴史についても関心が集まればいいなと思っている。何にしてもタブーを作ってはいけない。そのことが思考停止を招き、無意味な差別を誘発する。負の連鎖を断ち切ろう。
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部落と裏社会について、或いは部落解放同盟とスターリンの関係についてなどはまた後日詳しく書きますね。(この辺書き出すと長くなりますのでw)


ということで文字通り、水を差し続けるコラム3連発でした。クリスマスイブだというのにシケた話題ばっかで済みませんw あ、クリスマスといえばトランプ大統領のあの決定も気になるところですね。あの真意が何なのか。なぜ今このタイミングだったのか...。其の辺に関する考察も近いうちにやりたいと思います。(それが今年最後の週刊ニュースになるのですかねw?)ともあれいい加減に僕はデートに出掛けますのでここいらで本日はお暇します。それでは皆さんよい一日を、ジベリークリスマス!(←もはや意味を成していない!!)

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