2012年8月31日金曜日

Blue Moon

・月明かりに照らされて...

皆さんは8月の最後の日をどのように過ごされたのでしょうか?宿題のラストスパートに励んでいる方、最後の週末ということでこれから旅行に行く方等々いらっしゃると思うのですが、僕はといえばまた例によって研究室で一日の大半を過ごしていました。それはそうと皆さん、今日は月をご覧になったでしょうか?何でも1ヶ月で2度目の満月を見ることができる「ブルームーン」と呼ばれる珍しい現象(?)なんだそうですよ。

・荷物大分まとまりましたw

先述したように僕は今日もまたいつもの研究室に篭っていたのですが、その馴染みの研究室も3日後には新校舎に引越しになるということで、もう大分撤収の準備を始めていたりするワケであります。それで実は昨日今日と僕は研究室の掃除もしてるんですよ。恐らくここで一番長い時間を過ごしているのは僕ですからねw

・ここからの景色も見納めである

新しい研究室は完成間近の新校舎にあり、それはそれは綺麗なところになるのでしょうが、やはり長い間使った場所から離れるのは少々寂しいものでもあります。ここからの景色は結構お気に入りでしたからね。きっと僕がずっと忘れることはないんだろうな...と思う風景のひとつかもしれません。

・鳥せいで晩酌を...

研究室を出たあと、8月も今日で終わりということで軽く呑みたい気分だったので久し振りに伏見桃山の鳥せいに行ってみることにしました。勿論呑むのは日本酒です。伏見といえば日本有数の酒処なんですが、月桂冠や黄桜以上に個人的にオススメなのが山本本家の清酒。「神聖」シリーズでその名を広く知られる酒造メーカーなのですが、ここ鳥せいはその山本本家の直営店なんです。

・今日の〆はこんな感じです

とりわけ酒蔵から程近いここは蔵出しの生酒が飲める嬉しいお店なんですね。因みに平日は夕方6時まで上の写真にある串焼きの盛り合わせと蔵出しの原酒が1000円で食べれてしまう「ほろよいセット」なるものがやっているので狙い目です。僕は大抵ここに来たときはそのセットと何か1~2品食べて帰るのが通例です。今回は鶏茶漬けと柚子酒を〆に食べて帰ってきました。(お酒はもちろんですけど食事も美味しいんですよ^^)

                                    ・店の外観はこんな感じ

店を出たのは19時半くらいでした。その頃にはもう外もすっかり暗くなり始めていたのですが腹ごなしついでに日の暮れた桃山を少し歩いてみることにしました。

・疎水沿いから酒蔵を望む

・三十国船の乗り場は寺田屋近くにある

桃山には琵琶湖から続く疎水が流れており、かつては水路を行き来して物流に一役買っていた十石船や三十国船が今は遊覧船として運行しています。(詳しくは5月の記事を参照)夏季休暇の一定期間は夜のクルージングもやっていて、是非行きたいと思っていたのですが、行こうと思ったその日に大嵐が来て行けず終いになってます。伏見は京都の市街地からそれほど距離がないにもかかわらず、依然として訪れる人が少なかったいするんですけどなんか勿体無いな...と思います。(まぁ行政とか観光協会とか宣伝する側も十分にセールス出来てない感は否めませんけど^^;)


・有名な寺田屋(2代目)は酒蔵街から程近い場所にある

こないだ言ったように桃山は古くより地政学上の要衝として栄えてきた場所であり、その名残を今に残すところも少なくありません。そしてその代表的なものの一つがここ寺田屋ということになるのですが、ここは何度も言うように初代の寺田屋の女将であるお登勢とは関係のない人が作った一種のレプリカであり、間違ってもここにそのまま龍馬が宿泊していたり有馬新七ら薩摩藩士が斬り合いをしたりしたワケではないので...。

・そろそろ帰りましょう....          
僕は京都に住んでみてハッキリ言えるのですが、伏見という町は住みやすいところです。一部では治安が悪いとか何のって言われてますけど実際はそんなことありません。足掛けで5年住んでる僕が言うのである程度断言できます。住みやすい街であり訪れるにも魅力ある街、それが伏見という場所なんです。もう夏休みは終わろうとしていますが、皆さんもよかったら秋の連休にでも遊びにきて下さい。そんなところですが今月も一ヶ月間の疲れ様です、ジべりってことで。

有馬旅行記②(ガーデンパレス編)

           ・ガーデンパレスの砦みたいなやつ(作者が何処かにいますw)
・ガーデンパレスはバラなどの花々に彩られている

8月も今日で終わりですね。いやはやあっという間に8月が終わります...。宿題に最後の追い込みをかけている方も沢山いらっしゃることとは思うのですが、今回はこないだの続きについて書いていきたいと思います。今写真を載せながら思ってるのは「涼しかったな」ということ...。いっそもう9月終るくらいまであそこに籠って論文を書いてたいくらいですw

・ ガーレンパレスは異国情緒溢れる場所

六甲山と言うと基本的に夜景がきれいなところであって、夜に車でドライブに行くところ...みたいなイメージが強いと思うのですが、実際には昼間に来ても面白い場所だったりします。ここ六甲山ガーデンパレスは食事やショッピングが楽しめる娯楽施設で、昼間から大いに賑わっています。その他六甲山にはアスレチックの楽しめる場所や牧場などもあり、実は1日中遊べる場所なんですよ。

・六甲山からの眺望は夜景でなくとも絶景です 

勿論展望スペースもあります。殆ど山頂みたいな場所にあるのでその眺めも無類です。昼間なので夜景は見えませんが、 大阪から明石海峡まで広く見渡すことが出来て、これはまたこれで良かったですよ。勿論夜景は綺麗なんですけど、昼間の景色だって捨てたもんじゃないです。(余談ですがその後乗ったタクシーの運転手曰く、「夏は空が澄んでるから昼間に景色を見るのには丁度いい」そうです。)


・イングリッシュガーデンも要チェック

ガーデンパレスは先ほどの西洋の砦のような建物からも分かるように異国情緒溢れる場所なのですが、園内に散りばめられた草花にも注目です。色とりどりの花や高山植物などがあちこちにあり、そうしたものを見ているだけで何か優雅な気分になれます。それから通り沿いにまだ紫陽花が咲いていたのにも驚きました。そんな環境なんですよねw

・明石焼き&六甲山サイダーで一休み...
・景色を楽しみながら食事を堪能できる

園内にはカフェテリア式のちょっとしたレストランがあり、窓の外に広がる神戸市街を見ながら手頃な値段で食事ができるようになっています。もう夕食の時間がそう遠くはなかったのですが折角なので明石焼きを2人で食べてきました。明石焼きってたこ焼きがスープに入っている...くらいに思ってる人も多いと思うんですが、生地はどちらかといえば卵焼きに近い感じでフワフワしてるんですよ。皆さんも神戸や明石を訪れた際は是非食べてみて下さい^^

  ・さようなら六甲山、こんにちは有馬温泉

その後再びバスに乗り込んで、次に目指すはロープウェー乗り場。そこから有馬温泉を目指すのです。ロープウェーに乗るのはなんと高校の修学旅行以来...。僕らの他に2組家族連れが乗っていたのですが子どもたちは大騒ぎです。そりゃこれに乗ってはしゃがない子どもは居ませんよ。

                                    ・有馬行きのロープウェーとすれ違う

辺り一面が山々でとりわけて何か絶景を楽しめるわけではないのですが、それでも緑の上を駆けていく様は何とも言いようの無いものでなかなか軽快です。(ただ谷の上を通っていたりかなり高い位置を走っているので、高所恐怖症の方は下を見下ろさないようにお気をつけくださいw)

・やって来ました有馬温泉!

ロープウェーの旅は10分程度で終わり、ついに有馬温泉に到着です。と言ってもロープウェー乗り場は温泉街から少し離れたところにあるのでタクシーを呼ばなくてはいけないのですが...。(まぁちょっと足腰の元気な方であればウォーキングしても大した距離ではないと思いますがw)いよいよ次回は有馬温泉です。これまでに六甲山は何度か訪れていたのですが、よく考えたら昼間に来たのは初めてだったんですよね。そしたらこれが意外に正解で・・・。夏と言えばやっぱり海みたいな感じありますけど、山もまたいいものです。今日はもう一つ記事を上げる予定なので皆さんまた後ほどお会いしましょう^^

2012年8月30日木曜日

有馬旅行記①(六甲山ケーブル編)

・六甲山からの眺望

なんとあと1日で8月も終わりです。小中学生の過半数が恐らく宿題と孤軍奮闘している今日この頃かとは思いますが、本日は告知していた通りここから2回くらいに分けて前回の旅行について書いていこうと思います。第一回目の今日はとりあえず初日の19日に行った六甲山について...。毎度お馴染み写真満載でのお送りになると思いますので皆様お気軽に読んでみてください^^

・十三駅のパン屋で軽食を...

前夜少し遅くまで起きていたために本来の予定よりも1時間くらい遅めの起床となってしまったのですが、前日の雷雨が嘘のようにこの日は朝から快晴で気持ち良い旅立ちになりました。京阪電車でまずは深草から祇園四条へと向かい、そこから阪急電鉄に乗り継いでとりあえず六甲駅を目指します。途中十三駅内のパン屋で軽食を...。朝食も食べずに出てきてしまったのでお腹減っちゃったんですよねw

・これからケーブルカーで山頂まで登ります!

十三から三宮行きの特急に乗り込み、岡本で各駅停車に乗り換えて六甲駅で下車。そこからケーブルカー乗り場までは神戸市バスでおよそ10分程度といったところ。(因みに運賃は200円)ケーブルカーの乗車券は片道は570円で往復は1000円...なのですが、そのまま有馬温泉に行くのであれば山上バスの1dayパスと有馬温泉行きのロープウェイの乗車券がセットになった六甲・有馬一日乗車券(1700円)がお得で便利です。

・ケーブルカーの中はこんな感じになってます。

初のケーブルカー乗車ということで僕も彼女も2人揃って浮かれっぱなしだったのですが、急斜面を、山道を駆け上っていく感覚は他にないもので実に爽快でした。木々の隙間を、そしてトンネルをすり抜けていく感覚は、子どもならずとも冒険心をくすぐられること請け合いです。恐らく速度はそこまで早くはないと思うのですが、天井がガラス張りになっていて車内が開放的な作りになっていることもあってか体感的には結構早く感じます。

・六甲山ケーブルは今年で80周年を迎える

六甲山ケーブルは今から80年前、1932年(連載の話しにこじつけるなら5・15事件と同じ年ということになる)に運行を始めます。近代化遺産に登録されているという駅舎は構内も外観も非常に味のあるところで、ついつい足を止めてしまいます。

・六甲山開発に尽力したイギリス人技師、グルームの胸像

因みにこれは構内の階段付近にあった胸像。また例によって帽子を被せてみたのですが欧米の方は流石似合いますw この人物はイギリス人で名をアーサー・ヘスケス・グルームといい、かのグラバー商会の一員だったそうな...。六甲山の開発に尽力した実業家であり今でも大きな尊敬を集めている人物なんだそうです。また構内1Fにはちょっとした売店もあってお土産やちょっとしたドリンクなんかが変えるようになっています。

・屋上展望台からの眺望(神戸~尼崎方面)

その後ちょっと上に登ってみようということで2Fに行ってみたのですが、ここは展望台になっています。(昭和天皇もかつて訪れたそうな...。)外に一歩出てみてまず最初に思ったのは、とにかく涼しいということ。お盆が過ぎたとはいえ、まだまだ暑さの残るこの日の神戸市の気温は35度くらい...なのですが、ここの気温は25度前後、つまりおよそ10度ほど涼しいということになります。加えて穏やかな風が吹いていたので体感的には一層涼しく感じました。六甲山は「避暑地」という言葉がピッタリな場所なのです。

・お洒落な建物は資料館&休憩室になっている

・資料館にはケーブルカーや六甲山ゆかりの品々が並んでいる

展望台のほかに屋上にはケーブルカーや六甲山の歴史に関するちょっとした資料館もあり、ちょっと勉強も出来ちゃったりしちゃったりしちゃいます。そこの資料によれば、ここのケーブルカーは僅か数年足らずで作られたといいうではありませんか...。いや日本人ってすごいんだなって改めて思いますよ。

・六甲ケーブルの山上駅は歴史ある建築物で近代化遺産にも登録されている

ここから先はバスでの移動。次なる目的地である六甲山ガーデンパレスを目指す...ということになるのですが、なんかここまででも結構な文量になってしまったので、今日はこの辺までということにしたいと思います。次回もお楽しみに,ジベリってことで。

2012年8月27日月曜日

研究室復帰!

・とうとう志士会の宣伝ですら無くなってないかコレw?

今月の15日以降、すっかり夏休みを満喫していた作者でありましたが本日ようやく研究室に復帰しました。また松山に帰る予定もあったりするのですが、またしばらくはあそこで一日の半分を過ごす生活が始まりそうです。そして例によってホワイトボードの宣伝欄が消されていたので書き換えてはみたのですが...なんかもう勧誘にすらなっていないというw

・冷蔵庫にドリンクを補給!

それから実は最近になってうちの研究室に冷蔵庫がやって来たので今日はちょっとドリンクを補給してきました。ルートビアとA&Wのクリームソーダです。ヴィレヴァンとか洒落た輸入食品雑貨店何かに行くとたまに置いてあるんですが、これ2つとも美味しいんですよ。ルートビアは沖縄行った時に飲んで以来ちょっとハマってて...。某湿布のような匂いがすると巷では有名だったりするんですが、まぁもともとは薬品なんですよね。(たしかコーラもそうだった気がする...)もう一方のクリームソーダはメロンとか入ってない文字通り純粋なクリームソーダってことなんですけど、甘党にはイチ押しです。

・ヅラじゃない(以下略

それからこれは今日、京都駅前のヨドハシに立ち寄った時にガチャガチャで入手した桂小太郎のストラップです。まぁ冒頭の写真にもあるように僕は銀魂好きなんですよね。特に桂は大好きなんです!そんなワケでONE PIECEに加えてここしばらくは毎週楽しみに読んでる漫画だったりします。今年3月に終了したアニメも10月には再開するようで、しかも来年3月には第2弾の劇場版も公開されるとか...。


おっとその前に今年12月にはワンピのオリジナルムービー(第2弾)の公開もあるんだった・・・と、年甲斐もなく少年ジャンプを愛読している作者でしたが、今日はこの辺で失礼します。次回からは連載に戻りたいところなのですが、ちょっとその前に先日の有馬旅行のことを2~3回にかけて書きたいと思います,ジベリ!

2012年8月26日日曜日

大出雲展

商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。お買い物される際には、必ず商品ページの情報を確認いただきますようお願いいたします。また商品ページが削除された場合は、「最新の情報が表示できませんでした」と表示されます。
伊勢神宮と出雲大社 [ 新谷尚紀 ]
価格:1836円(税込、送料無料) (2016/8/24時点)

前回の記事からおよそ1週間空いてしまったのですが皆さん8月の暮れを如何お過ごしでしょうか?19~21日にかけての有馬・神戸の旅は楽しく幕を閉じ、それから数日は家でボンヤリと過ごしていたのですが、今日は彼女と一緒にこないだ行き損なってた「大出雲展」に行ってきました。

・京都国立博物館にやって来た

古事記編纂1300周年と来年の出雲大社大遷宮(60年に一度行われる)を機として開かれた今回の展覧会は、弥生時代のものとされる埴輪や土器に始まり古事記や日本書紀といった貴重な書物、更には出雲にゆかりのある仏像に至るまで多くのものが集められている見どころのあるもので、出雲が京都や奈良に匹敵するほど歴史の深い場所なのだということを改めて感じることになるものでした。なぜあの場所にそうした文化が根差したのか?あるいはそれらが何故廃れていくことになったのか?といった点について考えてみても面白いと思いますし、或いは近畿と出雲との文化の類似点に着目して当時の交易ルートや地域の結びつきについて考えてみても楽しいと思います。

・出雲大社の神殿を10分の1サイズで再現したレプリカ

館内には近年になって柱が発掘されたニュースも記憶に新しい出雲大社の巨大神殿を再現したレプリカも作られており、そのコーナーに限っては写真撮影も出来るようになっています。(よく出来てるんで、訪れた際には是非じっくりと見てきて下さい。記念撮影も是非w)

・今週のパスタは海老と万願寺とうがらしのココナッツカレー風味のスパゲッティーニ

博物館を後にして、僕らはようやくお昼を食べることになったのですが、既に時間は16時を回っており、どこもランチはやっていない状態...。なのですが、こないだ神戸の帰りに食べた今週のパスタが凄く美味しかったということもあり、もう一度食べたいと思っていたんでまたtimepiece cafeに行ってきました。ティータイムでの利用は初めてだったのですが、折角なのでパスタと一緒にちょっと凝ったものを飲もうということで僕はキャラメルミルクを飲んできました。

・夕暮れ空と京都タワー

その後、切らしていたシャンプーとボディーソープを買ったり京都駅前のヨドバシカメラの地下にあるスーパーで夕食の食材なんかを買ったりしてからこちらに帰ってきたのですが、まぁ今はこうしてブログを書いている次第です。明日には彼女をまた京都駅まで送っていくことになり、そして僕もじきに地元に帰省することになると思うのですが、何にせよ今年の夏休みも楽しく過ごすことができたのは言うまでもありません。また来年も2人で旅行に行きたいものです。そんなところですが今日はこの辺で失礼します、ジベリ!

2012年8月18日土曜日

千日詣り~五山送り火

・八坂の塔

こないだ言っていたように16日はおよそ1ヶ月ぶりのデートということで清水寺の千日詣りと五山送り火の鑑賞に行ってました。(本当は国立美術館の「古事記展」にも行きく予定だったんですけど、ちょっと時間がなくなってしまったのでそれはまた次回ということにしました。)京都駅の待ち合わせで、とりあえずバスで清水坂まで向かいます。そこから坂道を経て清水寺へと至るのですが、やっぱり夏にこの坂を登るのは少々困難です。ここの坂道はただでさえ登るのが大変だというのに、そこに京都の暑さが加わるワケですからね...。

・久々の作者登場!(彼女による撮影。八坂の塔をバックに...)

まだ時間は11時頃だったのですが、清水寺に入る前にとりあえずお昼ご飯を食べます。京都の数多い観光地の中でも1~2を争う有数の観光スポットと言うことで、この辺には土産屋も食事処も山ほどあるのですが、案の定客の足元を見ているような片意地の悪い値段設定のところもあるのでチョイスには注意が必要です。

・お昼ご飯は鰻の白焼き

今回僕らがお昼を食べたのは、清水寺からそう遠くはない坂道の上の方に位置する「清坂亭」というところ。ホントはうどんとかそば的なものを食べる予定で入ったのですが、メニューを見ると鰻の白焼があるではないですか!しかも1200円というリーズナブルな値段、これは注文するしかない...ということで今年初の鰻丼を食してきました。鰻丼は白焼きの鰻に山芋が掛かっていて夏バテ対策にはこの他ない組み合わせです。セットの味噌汁も白味噌ベースで全体的にあっさりしています。しかもこのロケーションでこれが1000円ちょっとで食べれてしまうのはお得過ぎです。(皆さんも近くまで来ることがあれば立ち寄ってみるといいと思います^^)

                 ・清水の舞台と夏の空

腹ごしらえが済んだあとはいざ参拝です。千日詣というのは一回の参拝で千日参拝したのと同じご利益が授かるとされているもので、毎年清水寺では毎年8月の9~16日にかけてこうした催しを設けています。普段は一般公開していない本堂の内々陣なる場所にも参拝できるようになっていて、たくさんの仏像を拝むことができるようになっています。14~16日にかけては夜間拝観も出来るようになっており、またお守りの御札も貰うことが出来ます。

・キリンレモンで一服

本道の参拝後、きよみずの舞台などで写真を撮ってから音羽の滝の近くにある茶屋で一休み。ここにはうどんやところてんなども置いていて、ちょっとした食事なんかもできるようになっているのですが、まぁお昼はもう食べてるので飲み物だけということで...。でも瓶入りの炭酸ってなぜかペッドボトルとか缶入りのやつよりも美味しく感じますよねw

・ダイナミック水撒き!

清水寺を後にする頃,境内ではどうやら水撒きをしていたようで、あちこちで水柱が上がっていました。夏の空に向かって打ち上げられた水柱と清水寺のコントラストは何とも不思議なものでしたが、その光景はどこか幻想的でもありました。(参拝客がずぶ濡れになってるんじゃないかという心配はありますが、まぁすぐ乾くと思いますしw)

・イノダコーヒーのカフェオレ(560円也)

坂を下っている途中、少し休もうと立ち寄ったのがイノダコーヒー。京都には沢山の喫茶店があり、チェーン店化しているところも幾つかあるのですが、その中でも著名なものの一つなのがここなのです。やや高級志向で実際にメニューも全体的にやや高めの設定だったりするのですが、その分店の雰囲気は格別で、コーヒーも美味しく頂けました。(カップやグラスは店頭で販売しているようなのですが、お洒落なので自宅用には勿論、お土産にも丁度良いと思います^^)

・夕食は「かつくら」で...

その後、祇園祭のときと同様にKimono-Proで浴衣の着付けをしてもらったあと、ホテルのチェックインを済ませてから夕食へ...。ここも毎度お馴染みの「かつくら」ですが、今回はいつもの四条店ではなく三条の方のお店にて。とんかつは勿論ですが、サイドメニューが美味しいのもここの特色だったりします。キャベツとご飯、それから味噌汁がおかわり自由になってるのも嬉しいところです。


・今年は辛うじてそれっぽいのが撮れた...かなw?

そしてあとは五山送り火...ということなのですが、未だに四畳半神話大系大好きな作者は今年も懲りずに賀茂大橋近辺からの鑑賞を計画したのでした。案の定時間が押しまくっていたのに加えて例年以上の人の多さもあって、まぁ送り火の写真はこのくらいしか撮れてないのが実情です。明日からはこないだも言っていたように有馬温泉旅行なのですが、その準備もあるので今日はこの辺で失礼したいと思います、ジベリってことで。

2012年8月15日水曜日

古本まつり

                ・下鴨の古本まつりは明日16日迄

ということで毎年夏恒例の「下鴨納涼古本まつり」に今年も行ってきました。今年も所狭しと古本屋のテントが張られ、下鴨神社境内の糺の森は平日にもかかわらず多くの来訪者で賑わっていました。(年齢層も学生から年配の方々まで様々です...。)

                                        ・多くの来訪客で賑わう糺の森

売られている本は学術書から芸術書,更には児童書や雑誌と様々です。時たまビックリする値段の本も置かれていますが100~500円といったお買い得なものも多く、ついついたくさん買い込んでしまいそうになります。本以外にもCDや映画のパンフレット、更には絵葉書や古地図を扱っているところもあり、いろいろな店を見て回るだけでも結構楽しかったりします。

・今年の収穫も上々(これだけ買っても合計で900円也)

小一時間ほど物色した挙句、今回買ったのは上の6冊。前々からちょっと気になってた本も手に入ったので大収穫の一日でした。(説明書きにもある通り、これだけ買ったにもかかわらず合計はたったの900円ですからねw)明日は1ヶ月振りのデートで五山送り火を観に行きます。そして19日から21日にかけては有馬温泉&神戸に旅行に行く予定もあり、僕の夏休みはこれからいよいよ盛り上がってくるところなのですが、本日はこの辺で失礼します,ジベリ!

石橋湛山の思想

皆さんご存知のとおり、今日は終戦記念日(というか敗戦日と呼ぶべきかと...)です。前回は日本が「15年戦争」につき進んでいく前後の2つの事件についてお話しました。流れで行くと今日からはいよいよ本題の大東亜戦争の話しになるのですが、今回の内容は若干スピンオフ的な位置づけになるかもしれません。皆さんは石橋湛山をご存知でしょうか?戦後短い間ではあるものの首相を務めたことのある人物なのですが恐らく殆どの人は彼のやったことはおろか、名前さえも知らないのではないかな?と思います。例の山川出版の日本史の教科書(2005年版)を念のため読み返してみましたが、365ページに‘公職追放から復帰した大物政治家’の一人として名前がチラッと出ているのみで、何をしたのかは全く書かれていない始末でした。しかし彼の思想は当時日本がとるべきであった指針の一つであったと言えますし、加えて混迷する今日の日本にとっても非常に有意義なヒントを与えてくれるものなのです。

1、生い立ちと略歴
石橋湛山は明治維新から20年ほど後の1884年、東京都の麻生区(今の港区)で日蓮宗の檀家に生まれます。幼少期を郷里である山梨で過ごした彼は1904年に早稲田大学の文学部哲学科に入学。そこでシカゴ大学でジョン・デューイ(経験主義的教育の第一人者であり、教育や公共哲学を学ぶ人間であれば必ず知っている人物)に師事していた経歴を持つ田中王堂に出会い、大きな感銘を受けたそうです。大学を首席で卒業した彼はその後1年間、特待研究生として宗教研究科に進学します。そして1908年には一度横浜毎日新聞社(現在の毎日新聞とは別のもの。因みに現在の毎日新聞社の前身は大阪毎日新聞)に入社しますがわずか1年で退職。その後、1年間の軍属を経て次は東洋経済新報社に入社、そこでジャーナリストとして頭角を現します。いわゆる大正デモクラシーにおいて吉野作造らとともにそのオピニオンリーダーとなり、論壇を大いに賑わせた彼は、その後戦中も一貫して日本の領土拡大政策や官僚主義に反対し、決して政府の抑圧に屈することはありませんでした。

戦後は吉田茂内閣のもとで大蔵大臣を務めますが、進駐軍の経費問題(アメリカは賠償として進駐軍のゴルフ場や邸宅建設の費用や贅沢品の経費などもせしめ取っており、それらの合計は国家予算の3分の1に相当した。)などでGHQと衝突した角で、就任から1年後の1947年には公職追放を受けることとなります。(表向きは東洋経済新報が帝国主義を助長していたという荒唐無稽な理由でしたが...)その後51年に公職追放が解かれて政界復帰したのちは鳩山一郎内閣の下で次は通産大臣を務めることとなり、そこでは中国やソ連との国交回復に向けて水面下で交渉を始めていました。

そして56年12月の総裁選に出馬した彼は初出馬にして決選投票で岸信介を破って見事首相に就任します。従米路線の岸信介が首相になることを期待していたアメリカはこのことに大きな衝撃を受け、大統領のアイゼンハワーは狼狽したとも伝えられます。彼は就任すると 「一千億減税・一千億施策」を柱とする積極経済政策と、政官界の綱紀粛正、福祉国家の建設、雇用の増大と生産増加、 国会運営の正常化、世界平和の確立など「五つの誓い」を発表し、翌年初めには全国への遊説を大々的に行いました。自らの所信をまずは国民に伝えようとしたのです。そして同時に有権者の声を積極的に聞いたそうです。民主主義を信条とする彼らしいエピソードと言うことができるでしょう。しかし全国10か所を9日で周るというスケジュールの無理が祟ったのか湛山は帰京後自宅で倒れてしまいます。脳卒中で2ヶ月の絶対安静との診断を受けた彼は「私の政治的良心に従う」として政治空白による混乱を防ぐため潔く退陣の決意を固めました。僅か65日の短命政権でしたが、こうした石橋湛山の姿勢は野党からも多くの賞賛を得ることとなり、社会党の浅沼稲次郎は「政治家はかくありたいもの」と手放しの評価をしています。(敵ながら天晴れというところだったのでしょう。)

それから政治活動を再開するまでに回復した彼は日中及び日ソとの国交正常化に向けて単身奔走し、一個人として異例の訪中・訪ソまで果たします。苦心の末結びつけた「石橋・周共同声明」(1959年)は、のちの国交回復のバイブルとなったとも言われています。その後も自民党内のハト派の重鎮として一定の発言力を持っていた湛山ですが1663年の総選挙では落選、それを機に政界を去ることとなりました。それから10年後の1973年、前年の日中国交正常化を見届けたかのように彼はその生涯に幕を閉じました。(享年89歳)

2、小日本主義
彼の思想の根幹にあるのは帝国主義の批判でした。日本を含む領土拡大を展開する列強を批判し、日本はそうした方針を捨ててこれ以上の領土拡大は勿論、これまで得てきた植民地すらも放棄することを主張したのです。(一切を捨つるの覚悟/1921)忘れてはいけないのは、湛山は何も道徳的意義のみからこうした植民地放棄を主張したのではないということです。植民地経営にかかるコストを鑑みてそうする方が利益になると考えた所以なのです。(大植民地帝国として知られていたイギリスですら19世紀には全体的に見ると植民地経営が赤字化していたと言われており、実際日本も朝鮮については最後まで赤字経営だった。)彼は植民地ではなく人的資本にこそ国家予算を投資するべきだと考えていました。今でこそ‘加工貿易立国’なんて言われている我が国ですが、その方針を示したのも実は他ならぬ石橋湛山だったのです。外に向けた拡大ではなく国内の経済成長を優先すべきである、という彼の主張は小国主義と呼ばれるものであり、当時の国家の主流であった「大日本主義」に対して小日本主義と呼ばれることもあります。

そしてこうした「植民地放棄」にはもう一つの狙いがありました。そのことが国際情勢に与えるインパクトです。日本がそうした姿勢を示せばその影響は他植民地にも飛び火します。そうするとどうでしょう?世界の流れは脱植民地に傾き、日本の国際的発言力も大いに高まると彼は考えていたのです。(大東亜戦争を植民地解放戦争であったと主張する人もいますが、やっぱりそれは一種の結果論であって正当性は希薄です。日本があそこまで広範に戦線を拡大したそもそもの狙いは資源獲得と経済封鎖の打破だったワケですから...。)

3、今日のまとめ
この記事を読んでもらっただけでも分かると思うのですが、石橋湛山の思想は今日でも十二分に通用するような非常に先見性に富んだものだったのです。東アジア共同体の話は別にしても、アジアのパートナーシップを強化することが益々必要になっている今日、産業の空洞化が進行している現在、そして一向に官僚主義から脱却できていない今、まさに石橋湛山が必要なんです。そうした意味においても彼は再評価されるべき人物だと思いますし、こういう人物こそ「国士政治家」と呼ばれて然るべきなのです。それからもう一つこの場で覚えておいてほしいのは、彼のように戦争に反対し、領土を拡大せずとも国家成長が出来ることを理論建てて主張していた人物が居たのだということ。(内村鑑三もお忘れなく!)にもかかわらず、そうした意見を汲み取ることが出来なかった...と。そこが重要なんです。どんな聡明な意見も、それを聞き入れる耳を持たない人の前では全く意味を成さないのです。これは民主主義国で生きる僕らが忘れてはならないことの一つだと言えるでしょう。



次回からはいよいよ大東亜戦争前夜、そして戦中~終戦までの流れを追っていくことになるのですが、明日からはデートということなのでしばらく連載はお休みですw後編は8月末~9月はじめにかけて書きたいと思います。まだ前編が終わっただけということですが、ともあれ読んで頂いてありがとうございます。今日はこれから下鴨の古本祭りに行くのですが、そのあとでもう一つ記事を書く予定です。しばしの間、失礼しますm(_ _)m

ー参考文献ー
・石橋湛山と小国主義(井出孫六:岩波ブックレット)
・冷戦を打ち破り世界平和を模索した石橋湛山首相(前坂俊之)
http://maechan.sakura.ne.jp/japanese_r/data/30.pdf
・石橋湛山記念財団
http://www.ishibashi-mf.org/index.html