2014年4月24日木曜日

続、靖国論

・靖国の桜(撮影は4月11日)

先々週東京に行ったときに僕はまた今年も靖国神社に参拝してきたのですが、敢えてここで、やや否定的な見地から靖国神社という場所を考えたいと思うのです。(ちなみに第一弾はこちら)というのも僕は靖国神社への参拝を続ける一方で、この場所のある種の違和感を感じているのも事実だからです。

・靖国神社とは何か?

違和感の正体は主に2つ。ここはそもそもの神道から見ると極めて異端だということ。これについては何のこともありません。そもそも国家神道と神道は別物なのです。神道というのは僕の理解では日本列島各地にあった土着の宗教ないし自然崇拝といったものと、国外から渡来人によって持ち込まれた既存の宗教(ユダヤ教、仏教、儒教など)が入り込み、それらが結びついてできたものです。それゆえ神仏習合という極めて特異な文化が根付いていったのです。


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しかし明治政府はこれをまず否定します。(神仏分離)そしてその過程で神社が有していた‘性’への信仰というものも排除されました。そもそも俗な存在であった神道を現人神としての天皇を中心とする荘厳なものに作り変えるためです。つまるところ国家神道というのは極めて人為的であり、ある意味その中心である靖国神社や全国の護国神社というものもまた極めて高い政治性を持った人為的なものに違いはないということです。

・ここの意味についてもう一度考えてみよう

そして2つにはここが薩長史観に依拠しているということなのです。ここは1869年(つまり明治2年)に明治政府によって最初、招魂社という名前で造られるのですが、そもそもの目的は明治維新や戊辰戦争で犠牲となった人たちを顕彰することでした。ここでまず留意すべき点は、そのときここに祀られたのは政府側の人間に限られているということです。つまり負けた幕府の側の人間はここから外されているのです。また同じ文脈で言えば、西南戦争で最終的に明治政府と敵対して死んでいった西郷隆盛も除外されています。しかし今となっては誰も幕府が悪者で明治政府が正義だとは考えないでしょう。それどころか見方を変えれば明治政府は稀に見る売国奴にすら見えてきます。

・まぁそういうことですよ

勿論ここを大切にしたい感情は分かりますよ。僕自身、仮にも6年間毎年参拝している人間ですからね...。ただそれに根拠があるかと聞かれれば殆どないのが実情です。そもそも繰り返すようですが、僕は日本が二度と戦争しないように、アジアに平和が訪れるようにという願いのもとにここを参拝しているのであり、それは「不戦の誓い」を削除し、ただでさえ軋轢を生じさせる靖国参拝を更に軋轢の種にするようなことをする安倍政権とは違いますからね。

・千鳥ケ淵戦没者墓苑

実は僕は今年、靖国から程近い千鳥ケ淵戦没者墓苑にも行ってきたのです。何かと反対の多い国立追悼施設のベースにと考えられているところであり、昨年10月にはアメリカの国務長官と国防長官が揃って訪れ、献花したことでも話題になったところです。何もない平日にもかかわらず、こちらにもチラホラ手を合わせる人の姿があったのが印象的でした。僕は別に今から国立追悼施設をつくれとは思いませんし、靖国神社を無くしてしまえとまでは考えていません。多分今後も靖国には行くのだろうとは思いますが、靖国神社を絶対視はしませんし、繰り返しにはなりますが各国にあらぬ誤解を持たれてまでここに政治家が公人として仰々しく参拝し続けることに関しては否定的です。今日はもう一個書きたい記事があるので一旦ここで失礼します。

ー参考文献ー
・靖国に感じる違和感の正体(るいネット)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=284837&g=131208
・靖国神社廃止論(石橋湛山)
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/tanzanyasukuni.htm
・靖国神社にもの申す。西郷ら賊軍もお祀りせよ!(亀井静香)
http://gekkan-nippon.com/?p=5482

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