2016年11月10日木曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第4回】

最近はトランプ絡みが多かったので、今回はちょっとテーマを変えてみようと思います。政治ではなくちょっとサブカル的なテーマですね。まぁ引き出しは多いに越したことありませんしねw

~いわゆるセカイ系~
先日勉強会のメンバーでこのブログの読者でもある人から「コラムのタイトルってセカイ系を意識したの?」と言われた。結論から言うと、別段そこまでの意識はなかった。ではどうしてなのかというと、何というか、ニュアンスの問題だったのだと思う。世界と漢字で書くのよりも、片仮名にしたほうがもっと広範でメロウな意味合いを持たせられるような気がしたからであって、それ以上でもそれ以下でもない。




映画「君の名は。」が大ヒットしているという。新海誠さんの作品といえば、僕は「秒速5センチメートル」くらいしか観たことがなく、当然ながら同作も見てはいないのだけど丁度新海さんの作品が先述のセカイ系に位置づけられているのだそうな。セカイ系というのは定義が曖昧でその実態はよく分からないのだが、おおまかに言うと「主人公とヒロイン、及びその周辺を中心に世界規模の問題が進行する」形式の物語を指すのだという。エヴァンゲリヲンなどがその代表的な例とされるそうな。成程あの作品は主人公の精神世界と実際の世界的な危機とがリンクするような形で、そして平行線上に描かれている。壮大なテーマを持ちながらも、主体はそれ自体ではなくあくまで主人公やその周辺人物の心情。こうしたストーリーの作り方がその後の多くの作品の雛形となっているというのは間違いないのだろう。




だが、いつぞやに言ったような気もするが僕はそもそもカテゴライズというのがあまり好きではないのだ。あのときはたしか音楽やお笑いを例として挙げたが、映画やアニメにも同じことが言えるだろう。何故ならカテゴリーとかジャンルというのはしばしば重複するし、1つの作品が多くの側面を持っているということも忘れてはならない。要するにカテゴライズに囚われると本質が見えなくなるし、その作品の魅力もよく分からなくなりがちだ。まぁ専門家というのはカテゴライズをしたがる人種だし、そうしなければ「学問」になり得ない部分もあるのでその部分には目をつぶるとしよう。だが受け取り手としてはこれに囚われ過ぎないことが重要だと思う。「そういう見方もあるよね」くらいに留めておいて、あくまで自分の目と心で作品と向き合って貰いたい。はてさて読者はこのブログを、或いはこの連載をどういう視点で見ているのだろう...。各々の見ているセカイに少し思いを馳せてみる。
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なんか最近は政治とか音楽とかの話が多めですが、映画とか漫画とかそういうのも好きなんですよね、僕は。ちなみに小説は好きではあるんですけど読み出すとドップリ浸かりすぎて疲れるときがあるのであまり読まないようにしているのです。情報が文字だけだと考えることが多くなりすぎるんですよね。あと小説原作の映画は予習で読んでいこうと思って読んだあとに観ると「思ってたのと違う」ってガッカリするのがデフォ。そんな感じですねw

・藤森神社(すっかり日が暮れるのが早くなったな...)

ちなみに今日は藤森神社まで水汲みに行って帰りに買い物をして帰ってきたくらいで大したことはしてません。相変わらず自転車が見つからないので徒歩ですよ徒歩。まぁでも歩きじゃないと見つからない発見があるのも事実ですし、実際そういう新たな気付きもありましたからね。え、どんな発見かって?それはまた次のコラムにでも書きたいと思います。明日明後日はまた仕事。次の休みはおそらく伏見桃山に行ってるんじゃないかと思われます。そんなところですが、本日はこれにて失礼します。ジベリ~!

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