2017年8月15日火曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【8.15談話】



本日8月15日は「敗戦の日」ということで、このブログでも毎年何らかの特別な記事を書いていたのですが、今年はいつものコラムを特別版として書くことでそれに代えたいなと思う次第です。(今後どういうスタイルにするかはまだ未定・・・)
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・終戦と敗戦と
72年前の今日8月15日、大東亜戦争が終わった。それは同時に満州事変以来の15年戦争の終焉でもあった。長い戦争に疲弊した国民にとって、結果がどうあれ「終わってよかった」という思いがあったのは想像に難くない。



しかし、それは紛れもない「敗戦」であった。明治維新後初めての’戦争‘での敗北だった。それゆえ一説には敗戦の日、会津では「薩長の政府が負けたぞ」と快哉を叫ぶ者もあったとも聞く。会津の遺恨がここにも垣間見れるのは面白いが、何れにせよこの国は「負けた」のである。だが今日のことを「敗戦の日」と呼ぶ人は少なくはない。終戦記念日などと書き立てて本質を見ようとしていない。それはある種の国家的な現実逃避のようにすら感じてしまう。そしてそのツケがまさに今請求されているのではないだろうか?




悪辣な現政権は紛れもなく戦後放置してきた「課題」のツケが生み出したものである。まずその視点を持たなくては本質が見えなくなる。そしてもう1つ理解しくてはいけないのは、安倍政権を倒したからといってそれで何かが解決するのではないということである。重要なのはその先である。一体どのような国をどのようにして作るのか?そこまで考えなければ何も変わってはいかないだろう。



敗戦から72年、経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれてからですら60年以上が経った。今は一体どういう時期なのだろうか。「ポスト戦後」とは一体何のことなのか...。「戦前は一日にしてならず」といつぞやのコラムで言っていたのは五木寛之さんだったか。では平和とは何なのか。ビアスは「悪魔の辞典」で平和をこう定義している。「国際関係について、二つの戦争の時期の間に介在するだまし合いの時期」と。何とも穏やかではないが的を射ているようにも思えるのが悲しいところか。この国に、世界に「平安」が訪れる日を僕は願う。
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戦争を知らない子どもたちが大人になって何年になるのか...。そんな中で今僕たちが生きている時代について今年は漠然と考えてみました。相変わらず残業だらけで今日なんて家に帰ってきたのはほんの数十分前。急いでこの談話を書いて今に至るのですが、明日からは2連休。ようやくの盆休み。束の間の平安を楽しみたいと思います。それでは皆さんまた明日、ジベリ!

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