2017年4月8日土曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第17回】



・大学入学時のシラバスを発見w

ということで今週の週刊コラムの時間がやって参りました。これから数回に渡ってお送りすることになるであろうこのタイトル。まぁ書きたいことは山積みなので週刊コラムとは名ばかりの隔日コラムになることも想定されるのですが、その辺はご容赦下さい^^


・抗い続けて10年①
五木寛之さんが「流されて40年」であれば僕はおそらくこうなるだろう。上洛から今日に至るまでの10年はまさに抗いの日々だった。それは世知辛い浮世に対する挑戦であるとともに、敷かれていたレールへの抗いでもあった。この戦いはどこまで続くのか、そもそも何が正解なのか...その答えは神様しか知らない。



この世界にはいくつものパラレルワールドがあるのではないか。たまにそんな事を考える。それはこの次元から見れば「if」のストーリーだが向こうの時間軸からすればこちらが「if」なのであり、そもそも人生に正規ルートなど存在するのかという摩訶不思議な疑問にぶち当たる。



そう言えば「四畳半神話大系」では小津が「どうせあなたはどんな道を選んだって、今みたいな有様になっちまうんだ。」なんて言っていたがその見方も強ち間違いではないのかもしれない。よしんば今の世界に並行する形で異世界が広がっていたとしても僕はその道を選ばなかったのは疑いようもない事実なのであり、そこに憧れても何の意味もない。精々これから先のルートの試金石になるくらいのものだろう。




以前に僕はこれまでの10年を「立志編」、そしてこれからの10年を「革命編」と呼んだが、これだって不確かだ。勿論そうしたいという願望はあるし気力もあるが、果たして革命がいつ頃から本格的に始まって、そしていつ完結するのかは分からないし、革命のその先も今はまだ見えていない。相変わらず模索は続く。

そう言えば孔子は「十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず...」と言っていた。或いは諸葛孔明は「志がなければ学問の完成はない」と言っていた。勉学の中で志を立て、ようやく羽ばたこうとしている僕ではあるが、まだ不惑の境地には至れてはいない。まだまだ学ぶことが多くある。しかし10年前と違うのは向かう先が明確になったことか。とりあえず今はそれでいいのかもしれない。とかく僕はまた勉学に耽るとしよう。
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・ノートもどんどん増えていく...

ということで僕はこれからも勉学を続けるのであります。まぁ大学は追い出されましたし、いよいよ本当の意味での独学にはなりますが、その分密度の濃ゆい学問ができるのも事実ですし、大学(あのせかい)特有の意味不明なルールからも解放されるワケですし(←元から無視しまくってたじゃねーかよw)、そうした意味では寧ろこれからの方が面白いのかもしれません。




あ、ちなみに明日はこれに行きます。今年初のフェスですよ、しかも見てくださいこの豪華な面々を...。まぁ僕はフラカン目当てで行く...つもりだったのですがなんと鈴木さんがインフルにかかったとか何とかで出演キャンセルだそうじゃないですか...。




まぁでも他にも気になるバンドは居ますし、こちとらライブ熱で目玉焼きが焼けそうなくらいなんで行きますけどねw フラカンはまた仕切り直しということにしましょう。そのときまでに「生きててよかった」夜を見つけておくようにしますよ。ともあれ明日はなるべく早起きもしたいので今日はこれにて失礼します、ジベリ!

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