2016年12月13日火曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第8回】

先週はUSAGI(現TANEBI)の「イマジン」をスタートとしてこの国における生涯教育のそもそもの間違いについて触れてきたのですが、では僕は学校でいい教師に全く出会わなかったのかと言えば答えはもちろんノー。特に思い出すのは「恩師」とも言うべき一人の先生のことです。


~ある「恩師」の話~
小学校3年生のときに国語の授業で「三年とうげ」というのをやった。一通り授業が終わり、「この話についてどう思うか?」みたいなのを先生が一人一人に聞いた。多くの人は「おじいちゃんの寿命が長くなってよかった」とかそんな感じのことを答えていたように思う。




そんな中で僕はといえば「おじいちゃんの寿命のこともそうだけど、この場所(三年峠)が悪いイメージの場所から良いイメージの場所に変わったのがよかったんじゃないか」みたいなそんなことを答えた。




自慢ではないが僕は国語の成績はそれなりに良い方だった。しかし「この話に込められた作者の気持ちを答えよ」とか「このときの人物の心情を答えよ」みたいな問題には常々違和感を持っていた。そもそも文学に定型の答えを求めること自体に無理がある。じゃなければ何年も聖書や仏典の解釈を研究している人は浮かばれないし、シェイクスピア研究をしている学者の存在意義もよく分からなくなってしまう。勿論テストにするとなれば答えを設定しなければならないのではあるのだが、そういう場合余程キテレツで意味不明でもない限りは正解にしてはどうなのだろうか?というのが個人的な持論でもある。




ともあれ僕の回答に対してそのとき先生は「面白い見方」と褒めてくれた。有り体に言えばこのときの先生は人の個性を認める人だったのだ。これがもし中学のときの国語の先生のように自分の好き嫌いで正誤を判断するような先生で、この回答を「おかしい」などということがあれば、僕はもっと早い段階で病んでいたに違いない。とかくそのとき僕は妙に嬉しかったのだ。そしてそれと同時に「なんか僕はみんなと違う」とマイナスに見ていた自分をプラスに捉えられるようになっていった。小学3年生の「あのとき」は僕にとってある種のエポックとなった。未だにこの国はどうにも「違い」を認めようとしないきらいがある。違って当然なのにさも画一的であるような粉飾に走りがちだ。そしてそれこそが「閉塞感」の所以でもあるのだろう。もしもああいう先生に1人でも多くの人が出会えれば...そんなことを時々僕は考える。そして僕自身も志士会という団体の領袖として、あの先生の姿勢を見習いたいと、心からそう思う。
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僕の好きなアーティストの1人である高橋優さんの「同じ空の下」という歌の中にこんな一節があるのを皆さんはご存知でしょうか?

人と少し違ったり 少数な方に属したら 蔑まれることも 珍しくはないだろう
でも心配ないよ 腰抜けの戯言 歩みを止めなけりゃ 夢は逃げやしないから

この歌とフラカンの「深夜高速」を僕は自分自身のテーマソングのように思ってるんだけど、とかくこの一節には勇気付けられるんですよ。だいたい人と同じ=正解でもなければ人と違う=間違いではないですし、同様に多数派が正しいとは限らないのがこの世の常。だからまぁ結局は自分自身がどうするかってことなんですけどね。だけどよく言われてるこの国における自己肯定感の圧倒的な低さってやっぱりこの国の構造に根ざしてるんだと思うんですよ。じゃあどうしていけばいいのか?1つ言えるのはそれを考えるときに「教育」ってやっぱり重要な意味を持ってくるんじゃないかなということでしょうか...。そうでなくともこの国の正常化と教育には切っても切れない関係がるというのが持論ですからね。ジャーナリストとして一通りの「仕事」を終えたら僕は存外その次は教育に携わっているかもしれません。夢は尽きませんねw そんなところですが、本日はこれにて失礼したいと思います。それでは皆さんごきげんよう、ジベリ!

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